先日、長野県でホテルの経営をしている友人の元を仲間と訪れました。久しぶりに顔を合わせ、夜遅くまで語り合い、とても有意義な時間を過ごすことができました。そうした旅の終わりに、印象に残る出来事がありました。
友人の経営するホテルは風光明媚な場所にあります。私たちは帰り間際、その景色を背景に写真を撮ろうということになりました。そしてその友人は、たまたま近くにいた女性スタッフにカメラのお願いをしました。しかし彼女はすぐさま、「団体のお客さまをお見送りしてからでもよろしいですか。」と丁寧かつきっぱりとした口調で友人に伝えました。
私たちが写真をお願いした頃は、チェックアウトをしたお客さまがホテルを出発する時間帯でした。その時もちょうど団体のお客さまがホテルを後にするところだったのです。「お客さま第一」という言葉はよく耳にしますが、彼女は自分のいま優先するべき仕事をしっかりと捉えており、迷うことなく上司である友人に伝えたのでした。
堂々と上司にも意見が言える社風の気持ち良さも感じましたが、なによりも自然に彼女がとった行動は、とても清々しい気持ちにさせてくれました。ホテルスタッフとしてプロの誇りを感じる印象深い一場面でした。
この原稿は、街オリ代表の佐々木が口述したものを、
「コトミ 〜 言葉で見える形に」を活用し、ライターが書面化致しました。
■才能以外にも、12代沈壽官が飛躍した要因があったのではないか。
昨年11月末に、鹿児島の薩摩焼の中心地「美山」に行ってきました。
美山は、秀吉の朝鮮出兵の時に、陶工を連れてきたことが始まりで、薩摩焼の産地として栄えました。現在でも窯元が20〜30位集まっています。
美山の窯元でも、とても有名なのが、沈壽官の窯です。
東京・日本橋の三越で個展を開いた時、45,000人の来場者を記録したことからも、その人気ぶりがうかがえます。朝鮮の貴族だった初代の沈壽官から数えると、現在は15代目が活躍しています。
沈壽官窯の門をくぐり、まず目を奪われたのは、庭、建物などの造形の美しさです。作品以外のことにも神経を遣う徹底した美意識を感じました。敷地内をしばらく散策し、作品を販売する店や工房を見学した後、同じ敷地内にある沈壽官の博物館を訪れました。
博物館で、初代から15代までの歴代の作品を鑑賞して、印象的だったことがあります。それは「12代の時に、作品の精巧さ、美的価値が飛躍的に向上している」ことです。
12代が「天才」と評されていることは、予めウェブサイトを見て知っていました。
しかし、窯や博物館を実際に訪れて感じたのは、才能だけではなく、周囲の期待や環境の変化といった外的要因が12代の飛躍に大きく寄与しているということです。
■「外からの刺激」が飛躍をもたらしたのではないか。
12代が活躍したのは、幕末から明治にかけての激動の時代です。
薩摩藩の焼き物工場の工長を務めた12代は藩からの重い期待を背負っていました。藩が、薩摩焼を輸出産業として発展させることを目指し、パリ万博に作品を出品することになったからです。
さらに、明治維新後は、窯を取り巻く環境が大きく変化しました。江戸時代は薩摩藩のお抱えとして、守られた環境の中で芸の道に打ち込むことができましたが、明治維新後は窯が民営化され、自ら事業を運営する責任を負うことになりました。
このような激動の時代背景の中で作られた彼の作品は、ヨーロッパの貴族達にも高い評価を受け、1900年のパリ万博では銅賞に輝きました。
つまり、周囲の期待と環境の変化という「外からの刺激」にさらされたことが、12代が突き抜けて質の高い作品を生み出す原動力の一つになったと考えられます。作品を見る人が目の肥えたヨーロッパ貴族という、「刺激」の強さも更なる良い結果につながったのでしょう。
「外からの刺激」は、過剰なストレスになって、心身に悪影響をもたらすこともありますが、向き合う姿勢によっては、プラスに作用させることができます。12代が飛躍できたのは、「外からの刺激」と真摯に向き合い、それを成長の原動力にしたからではないかと感じました。
そして、外部の求めに真摯に耳を傾け、その期待に応えようとする前向きな姿勢が、人を成長させることは、芸術や美術に限らないとも思いました。
「外からの刺激」があれば、誰でも飛躍できるわけではありません。不遜かもしれませんが、美山で回った窯元も、魅力を感じたところとそうでないところとが混在していました。沈壽官窯と同じ風合いの「白薩摩」と呼ばれる焼き物を作っていても、精巧さが全く異なるのです。
沈壽官窯の細部までの徹底したこだわりをみながら、「外からの刺激に真摯に向かい合いながら、ここまで突き詰めた仕事をすることで、対応したい」。そう思わせてくれる、刺激に満ちた時間を過ごすことができました。
この原稿は、街オリ代表の佐々木が口述したものを、「コトミ 〜 言葉で見える形に」を活用し、ライターが書面化致しました。
■小布施に残る、人々が敬意をもってみる蔵
このコーナーの初回となる今回は長野県小布施に残る蔵の話をご紹介致します。
小布施は、長野から北へ一時間程行った場所にある美しい街並の地で、年間120〜130万人の観光客が訪れています。私もとても好きなまちの一つで、街づくりの手本として、多くのことを学ばせて頂いた場所でもあります。そこには、今にも残る、古い土の蔵が存在しています。その蔵を前にした時、地元の方から蔵が建てられた経緯をお聞きすることがありました。そしてお話頂いた逸話は大変印象に残るものでした。
その蔵はある飢饉が起きた時、小布施の名主が建てたといいます。何故そのような時期に蔵を建てたのかというと、蔵を建てることでまちの人々に働きに来てもらい、その代価として蓄えていた食糧を提供し、飢饉で困窮している人々を救ったそうです。建てられた蔵は、今も敬意を持たれる形でこのまちに残っています。
蔵は名家の象徴とも映りますが、それを眺める人の思いは、二つに分かれるのではないかと思います。妬みを持つか、もしくは敬意を持つか。
もしこの蔵が、権威を見せたいという自己本位な都合で建てられたのであれば、妬まれ、尊敬などされずに見られるのかもしれません。そうでなく、まちの人々の求めに応じて造られた蔵であれば、敬意を持たれてみられるではないでしょうか。
この話は、相手が必要としている事に基点を置くか否かが大きな境目であると物語っているように思います。相手基点であれば歓迎され、結果的に人々の幸せを実現することに繋げることも出来るでしょうし、それに向けて動く人の存在も周りが認めてくれることになるのだと思います。
■“機を見る”ということの重要性
人々の求めに応じて造られた、敬意を受ける蔵。これは現代の様々なことに通じると思います。私たちは地域活性化のコンサルティングをするにあたり、当然ながら良い事業やサービスを作り、訪れるまちが魅力的であって欲しいという思いで、地域に関わらせて頂いています。しかし、関わり始める時、そのような「想い」を押しつけて地域地域に押し寄せても、大概は「頼んでいない」と拒絶されることにつながります。そのなかで無理やりことを進めようとしても、地元の方々が動くことにはつながらず、あまり良い結果に結びつくことがないようにも感じています。
そうではなく、地元の方々が自発的に何かを始めようとしている時、「頼まれる」から動くことが、非常に重要な点ではないかと考えています。
それでは、「頼まれる」状況になるにはどのようなことが必要なのか、ここでは三つほど思いつく点をあげてみたいと思います。
先ず一つ目に、ただ受身で待つのではなく、自ら扉を叩くことはやはり必要であるということ。ただしそこには扉の叩き方があり、決して強引であってはならないと感じています。例えば、相手から学べることが何かを真摯に考え、学ばせて頂けないかとお願いすることも一つだと思います。また直接相手に働きかけるよりも、相手が信頼している人に相談して、その人に客観的に自分を判断してもらうことも考えられます。
二つ目に、待たせて頂ける状態をつくること、すなわち、相手が自分と繋がりをもち、時間を使うことに嫌がらない形を整えること。例えば、相手の求めている情報を把握し、その情報を入手し、それを伝えるために会う時間を頂くなどが考えられます。
三つ目は、目を見開いて、機会を発掘すること。相手の方と接してさえいれば、機会は自ずと生まれて来るのではないかと思っています。ただしそれに気づかずに通り過ぎる場合も多いのではないでしょうか。相手がただ話しているだけで「頼む」と言ってくれることはまれだと思いますし、相手にとって懸念となりそうなことがあった場合、それを的確に指摘することで、それが頼むべき課題として顕在化すると感じています。
この原稿は、街オリ代表の佐々木が口述したものを、
「コトミ 〜 言葉で見える形に」を活用し、ライターが書面化致しました。
私たち街オリは、地域活性化に取り組む中、様々なまちに関わらせて頂いております。
地元の方々と共に活性化に取り組む地域もあれば、視察に行かせて頂く地域もあるのですが、それら訪れる地で、昔から今に語り継がれている逸話や、新しく生まれている多くの逸話に接します。その逸話の多くは、幅広い場面にも通じる、人に対する洞察や学び・気付きが在り、大変興味深いものです。また地域という単位だけではなく、街オリが接する機会を頂いている個々の企業においても同じく大切にしたい逸話をお聞きすることが多々あります。
今回、街オリは新しいコーナーを立ち上げます。地域や個々の企業において、お会いした方々からお伺いした、もしくは文献に記されていた逸話をご紹介しながら、私たちが心に留めておきたい学びや気づき、価値観を記し、そのなかで街オリらしさも併せて皆さまにお伝えできればと思っています。
尚、このコーナーでは、各記事の文末に常に以下の一文を記させて頂きます。
—– ラーニング・メモ —–
このコーナーは、街オリが心に留めておきたいことを書き記しておく立ち位置、
言い換えると自らのラーニング・メモという位置づけで書かせて頂いており、
その中から共有可能なものを、公開致しております。
■実用性の中に美しさを見出す日本人の美意識
広島県の鞆の浦を訪れた際、ボランティアガイドの方に江戸時代にとても裕福だったという一族の家屋に案内してもらい、そこに使われている木について興味深い話を伺いました。その木は以前、船底に使用されていたもので、とても自然に建物の一部を成しており、持ち味もあって大変優雅に見えました。しかしなぜそこに船底の木を使ったのかというと、長年海に浸かっていた木は塩水を十分に含んでいるため白アリなどが付かず、非常に強いからという理由でした。見栄えのために使用したのではなく、あくまで実用性を考えて使用し、それが結果的に美しさになったとのこと。そしてそのボランティアガイドの方が添えてくださった一言がとても印象的でした。
「日本人の美意識は、生活の中の知恵や必要性から見出されるものであり、見栄えが先にきているのではない。実用性の中に美しさを見出していくことが日本人の感性の特色なのではないか。」
この話は、実に大切なことを言い表していると感じました。
■日本人の美意識に通じる街オリのデザインに対する考え方
街オリがデザインを手掛ける際に大切にしたいことも、実用性の中に美しさを見出すことです。例えばホームページは整頓されたものを、商品のパッケージは商品が棚に並び、消費者が向ける目線までを想像して、分かりやすいものを作る。如何にすればメッセージが伝わるかを考え抜くからこそ生まれる美しさがあります。こうした美しさを追求し、最終的に人の心に届くようしたいと思います。遊びからくるデザインもあっていいと思いますが、あくまで実用性・機能性を追求した上で加えたい。
消費者が求めることを把握するマーケティングをしっかりと行い、それに沿う機能美を追求した上で感性に響くものこそが、街オリが打ち出していくデザインではないかと思います。そしてそれは日本人の美意識に通ずるとも思います。
■ひとつひとつのアートを見つめながら、デザインで横につなぐ役割を
デザインとアートとを対比すると、ひとつの定義として、アートは自分の中に起点があり、デザインは相手の中に起点がある気がします。アートは追求することで自分自身をこじ開け、新しい可能性を生むことができる一面があると思います。一方、デザインは「世の中の求めに応えること」だと思います。街オリの本分である地域の光る原石をもっと世の中に出していくためには、このデザインの追求がとても大切です。
アートがひとつひとつの可能性を開くのに対して、デザインはそうしたひとつひとつを横に繋ぐものとも言えます。街オリはひとつひとつのアートをしっかりと見つめながら、それらを横につなぐ、織りなす役割を担っていきます。
この原稿は、街オリ代表の佐々木が口述したものを、「コトミ 〜 言葉で見える形に」を活用し、ライターが書面化致しました。