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忠臣蔵 ~ 討ち入り後の舞台を巡る

永代橋 ( 2 / 9 )

泉岳寺へ向かう一行は、永代橋で隅田川を渡りました。

橋番は民間で行なっていたため、四十七士にとっては、
武士が守っている橋よりは渡りやすかったと考えられています。

(彼らの討ち入りはあくまで私的な復讐であり、
 武士の守っている橋では、武士が復讐を果たした集団を
 通してくれない可能性がありました。
 それよりは身分の低い、町民達が橋番をやっている方が
 武士である彼らが渡りやすかったのです)