広尾 ~ 国際色豊かな街の成り立ちを探る
光林寺 ( 5 / 7 )
ヒュースケンは、初代駐日領事として名高いハリスの右腕として、
平和的な日米関係を築くために奔走してきました。
ハリスの通訳として、時にはハリスの代役として
幕府との直接交渉に赴くほどの人物でした。
その陽気さから人々からの人気もあり、国を超えた信頼関係を築いていました。
しかし、万延元年(1861年)に攘夷派志士の襲撃を受け、
わずか28歳の若さで亡くなります。
左の写真にあるようにヒュースケンは乗馬好きでした。
ただ、当時乗馬は武士にのみ許されていたので、
志士の怒りを買いました。